子どもたちが勉強嫌いになってしまう理由で特に多いのは、ズバリ「何のために学ぶのかわからないから」です。
意味もわからずに毎日強制される、嫌なこと。それではただの「苦痛な作業」にしかなりません。嫌いになるのも当然です。
■ 「合格がゴール」になってしまう怖さ
「志望校に合格するため」「良い会社に入るため」。
それももちろん、目の前の大切な目的です。
でも、行きたい学校に行けたのに燃え尽きてしまう。入りたい会社に入ったのに「本当にやりたかったことじゃなかった」と五月病になってしまう。これも実はよくある話です。
学校に進学することそのものが目的になっていた生徒は、入学後に目標を見失い、学習への意欲をなくしてしまったり、学校へ足が向かなくなってしまったりすることがあります。
学ぶ意味や目的が、自分の実生活や未来に活かされていない。そこに根本的な原因があると感じています。
■ 学ぶことは、もともと「生活そのもの」だった
本来、学ぶということは、生活の糧を得るため、自分や家族の生活をより良くするため、社会や国を発展させていくために営まれてきた行為です。
だから大昔は、ごく一部の特権階級の人にしかその機会は与えられていませんでした。
それが時代を経て、国民一人ひとりが平等に学べる環境が生まれた。これは素晴らしいことです。
ただその一方で、学校という大きな集団の中で、一人ひとりの学びの意味を丁寧に見つめることは、構造的に難しくなりました。
義務教育というありがたい制度の代償として、皮肉にも「学ぶ意味や目的」があいまいになってしまったように思います。
• 「お金を稼ぐため」 ➔ 何のために?なんで?
• 「良い仕事につくため」 ➔ どんな仕事?なんで?
• 「資格を取りたい」 ➔ どんな資格?なんで?
ここを自分自身で深掘りしないまま進めてしまうから、学びがいつまでも「他人事」のままになってしまうのです。
■ 実生活と結びついた瞬間、目が変わる
学習内容を自分の生活とつなげて意識することは、学習意欲を持続させるうえでめちゃくちゃ効果的だと確信しています。
だから数学の授業では買い物と絡めて割引の計算方法を教えたり、古文の授業では「昔の人も、今と全く変わらんおもしろ話や恋話で一喜一憂してたんやで」と身近に感じてもらうことも。
そうやって、学ぶ意義や興味を見出す手助けをすることも、大切です。
また、「将来の自分のために学ぶんだ」という動機づけができると、計画を立てたり自分の弱点を点検したりする力が自然と育ちます。
その場の「おもしろそう」という興味だけで動くよりも、結果として長く粘り強く取り組める力につながるように思います。
私も、国語や社会の授業では時事問題や日本の歴史に絡めて、よく熱くうんちくを語ります。
生徒からは「先生、早よ授業進めて!」と思われているかもしれませんけど 笑。
実際の反応なんて、だいたい「ふーん、そうなんだ」くらいです😅。まあ、そんなに漫画みたいにうまくはいきません。
でも、それでいいんです。生徒たちの頭のどこかに残ってくれていたら。
何年後か、何十年後かにふと、「あぁ、そういえば昔、塾長が言ってたことってこういうことだったのか!」と気づく瞬間が来てくれたら、それで大成功。
かつて、私自身がそうだったように。
■ 「解けた瞬間」に、すべてが変わる
どれだけ綺麗事を並べても、やっぱり一番強いのはこれです。
解けなかった問題が、自分の力で解けた。嬉しい。気持ちいい。
「あれ、数学おもしろいかも」「もう1問解いてみたい」。
この小さな変化こそが、義務感の「やらされている感覚」から、能動的な「自分からもっと学びたい」という意欲への最大の転換点になります。
本人の内側にこの小さな変化の火を灯すこと。これこそが、自学習への一番大きな一歩です。
■ 中学生・保護者のみなさんへ
何のために学ぶのか。その答えは、誰かに与えられるものではないし、一つではありません。
ちなみに塾長は、今でもこう考えて学び続けています。
「この知識は生徒たちの学びに活かせるか?」
「もっとワクワクできる授業ができるんじゃないか?」
「これを話したら、娘が喜ぶんじゃないか?」
「こんな新しい挑戦ができたら楽しいんじゃないか?」
私は、常により良い未来を夢見て、今でも本気で学んでいます😁
焦らなくて大丈夫。
今はまだ答えが見つからなくてもいい。
目の前の勉強に本気で向き合ったその先に、君だけの「何のために」が、きっと見えてきます。

